今回は先人はどのようにして商売をしていたのかを先人の方のエピソードを元に
考え記事にしたいと思います。
この新型コロナウイルスの流行後、場所を問わず人々の暮らしや働き方が大きく変化しました。
それに伴って人々の商売の在り方もアップデートや試行錯誤を続けている今日この頃でないでしょうか??
『商いの基本を先人から学んでみる』
・どこで(どのタイミングで)稼ぐか??
それは期間限定なのか?
シリーズ化して進化していくのか?
複数単位で集客するのか?個別で人を集めるのか??などを
今回からビジネスモデル視点で当時の商いから参考にしたいと思います。
今回のモデルは
東京で最も古い酒屋さんだと言われている『豊島屋』(トシマヤ)という老舗酒屋さん。
420年を超える歴史を持つ酒屋。
江戸時代があhじまるよりずっと前に創業している。
当時は江戸は良質な酒にこだわり製造するという考えがなかった。
江戸の酒屋さんは関西からお酒を仕入れていたので輸送費も嵩み消費者に行き渡る頃には
(高値がついている状態だった(東京に本格的にお酒を作る技術がなかった)
そこでこの豊島屋さんは仕入れたお酒に利益を載せずに仕入れた原価のまま販売に踏み切った。
もちろん、当時江戸中の話題の酒屋になった。
では・・・・。
『利益をどうして出すのか???』と思う。
ライバルの酒屋さんも利益度返しのこの方法に『どうせ長続きはしないでしょう😓』tっっっっと冷ややかな目・・・。
しかし。。。
この豊島屋さんは別のところでしっかり稼いでいた(仕組みを作っていた)。
さあ一体だこで・・・????
お酒を売って🍶空っぽになった酒樽。この酒樽を味噌屋に販売し利益を得ていた。
(1割くらい利益に)
(商売の仕組み)
まず原価をお酒を売るということで多くのお客さんがお店に来る。
そうなるとお酒の販売量自体は増え、酒樽の数も多く出てお味噌店に売ることができて沢山
樽も売り捌くことができたという仕組み。
これはある意味😊好循環である。
お酒を沢山仕入れるということは酒の仕入れ価格も交渉し引き下げることが可能になるようになった。
こうして商売を成功した『豊島屋』さん幕府の御用達になり毎年ひな祭りの頃には白酒といえば豊島屋と言われるほどの存在になった。
このような例を用いましたがどこで稼ぐか??(利益を出すか)という視点でビジネスモデルを考えるのはとても重要で豊島屋さんは、酒屋兼居酒屋で🏮したが、
『真の稼ぎ頭』
『利益の出る仕組みは何か?』
それはどこになるのか考えるきっかけを持つのも楽しいです♪♪
(オススメ本)
商売の基本を考えよう。
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