今回のテーマは
物事の善悪がわかっていない子に対して、
子どもの取った行動をいたずら、悪さ=悪いことって決めつけていないか??
干渉的になり過ぎていませんかを少し記事に🤏🤏🤏したいと思います。
大人にとっては小さい頃のいたずらや悪さって
いうと何も考えず悪いことって捉えてしまい、悪いことなんだと認識されている。
しかし子供は善悪がわかっていない部分が多い。
子どもは小さかったら、純粋な好奇心の範囲にあること。
確かに大人たちにこれはやってはいけない事だと教えられ、やがていい事悪いこと
を理解していく。小さな子どもは楽しくて戯けたり、ふざけたりするけれど
そこには悪気はないのだけど、その時の状況や気分で大人は子どもをしかったりする。
自分は、幼少期育った環境が放任で、兄姉とも歳が離れていて
父の事業が失敗し、家も大変だったため一人遊びが上手くなってしまった。
幼稚園や学校に通っても学校に馴染めず皆で共同での作業がなかなかできず
馴染めなかった。
先生には出来ないことを皆の前で怒られたり、出来ないことを先生に皆の前で
公表されて、何かできた時にも、人とずれていると叱られたなんてこともしばしば・・・
自分がたまにできたことも、評価されず、皆の前で怒られ続けて、一人で黙々とやりだすと怒られ、自分がやったことを取り上げられるのは子どもの時の自分はショックでした。
親は訳も聞かずに先生に叱られ注意を受けたと・・・責め立てて終わり・・・の繰り返し。。。
今はそんな親御さんは少ないかもしれませんね。
でも大人のそんな態度が子どもの好奇心の目をつぶしたり自尊心を下げたりしているんです。
大人たちは大人の判断で幼児の無邪気な遊びを善か悪でジャッジします。
自分が教えた通りにできないこと。
自分が教えた通りに(思い通りにやらないこと)全体のテンポに合わせなかった自分は悪い子になった。
元々自分は共同性の中に閉じ込められるのは嫌であった。
家庭、学校、大人の階段を登る過程で幼少期の時のように共同性を欠いてしまう行動、人と同じように出来ないという理由で
最近までそのことも含め自分という存在が無効であるという経験をしてきた。
それでもそんな自分を立て直そうと、コーチの力を借りることができ回復してきました。
そんな自分である事を今まで逢った大人たちのために存在を放棄しなかった。
自分自身が時間をかけてわかれば良いと思っています。
音楽もスポーツも共同性より
独自性の中で自分の価値を作り上げる、生き方。
そんな風に自分の世界をクリエイトするスポーツコーチングを目指していきたいと思っています。
昨年、認定を受けたライフシフトコーチとしてもこれからもさらに学びを深め創造できるようにしたいです。
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