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『マーケティングと認知度』とは🤔

アフターコロナにシフトしてからの商売のアップデートは常に試行錯誤を続けるわたしたち。

 

以前に引き続き商売の基本を先人から学ぶというコンセプトで記事にします。

以前に書きました老舗デパート大丸。🏬

モデルでもある福助人形は今でも人気である。

今回も創業者の下村彦左衛門正啓氏から当時の経営スタイル、姿勢を学びに繋げていきたい。

 

 創業者の下村氏は『お客様第一主義』で社会貢献を優先する事で信頼を獲得して来られたという事をすでに学びました。

 他にも様々な工夫を重ね次第に商売を成功に導いた人物として知られています。

 

今回もその中でも有名な『風呂敷』に関するエピソードのご紹介です。

下村彦右衛門正啓氏。京都で大丸の源になるお店を創業したのですが、その後大阪心斎橋、

名古屋の出品を経て1743年江戸への進出を果たしました。

江戸のお店を開店する前にまずは認知度を江戸でも十分獲得することが大事だと考えて下村氏は

黄緑色(萌葱色)に大丸のマークを染めぬいた大きな風呂敷を大量に製作した。

この風呂敷に売り物にする呉服を入れて京都から江戸にどんどん運び込んだという記録が残っている。

 この色(萌葱)というのは当時の風呂敷としてはとても派手で目立つ色の風呂敷となった。

当時の物流は『東海道五十三次東海道を通って江戸に向かい運ばれていく。

 そうなると・・・??🤔

この風呂敷を東海道の街道沿いに暮らす人々も見ますし往来をする旅人の目にもとまって多くの人々に大丸の存在というのが開店前から知られるようになり、さらには江戸の取引先の人たちにも風呂敷がおしゃれ💅だという理由でどんどん使用してもらえるようになった。

 そういう流れで江戸ではこの風呂敷が数多くの人の目にとまり大丸のお店の認知度も高まった。⤴️

  素晴らしいPR戦術である。

現代のPRやマーケティング戦略、知見によっても人の行動が変化するきっかけというのは必ずしも影響力の与える(インフルエンサー)の発信によるものではない❗️

 繰り返し同じ情報を複数の人から複数回入ってくることのよって行動の変化が生まれると考えられている。

 まさにこの事例(風呂敷)がその例である。

下村氏は自分で編み出したというより他の商売の成功事例を徹底的に研究して実戦を繰り返す。(視点の変え方・融通の利かせ方も含む)

 そういう行動によって今の時代でも十分通用するような原則を獲得していた。

現代に生きる私たちもこういう姿勢を徹底的に学ぶ姿勢でいたい。

 さあ。実践だ😊

(オススメ図書📚)👇

先人からマーケティングの軸を学ぼう😊

 

 

 

 

 

 

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