2011年 3/11 14:46. に発生しました。
マグニチュード9.0と観測史上日本では最高水準。
世界でも歴代4位類に見ない地震です。
津波の大きな影響はなかったものの、親戚が
福島におりますが1軒屋でもすごく大きく揺れ壁が
落ちてきたといいます。
マグニチュード1.0上がるごとに30倍になる。非常に大きくなり最大震度7 10〜15m津波が沿岸に押し寄せた。大きな災害になりました。
震災から10年あっという間です。
被災された方はあの時から時は止まったまま・・・。
絶望の淵で大切な家族や仲間を失った方は、どんなことを思うんでしょうか??
先にも書きましたように、わたしにも東北に親戚がおりますので、時々訪れますが
(開拓以前と同様)平坦な地が続いています。
空が高く地上が低く感じます。多くの自然が残っていてのどかな地です。
その中でも宮城県も気仙沼の地形はリヤス式で町の背後に数百メートルの🗻🏔山々が連なってきています。
電車や車の車窓から🛻山際から海岸まで平らな土地が広がっています。
自然の力ではない、その平坦な土地は江戸期に入ってから人々によって埋められたまちができた場所、そこは元々は海であったというわけ。
元々、この辺りはリヤス式海岸でゴツゴツした岩があり🪨、住める場所ではなかった。
人はそこに土を盛って平らにして人が家を建てるようになり、やがてそこに商店が集まり町になった。
当時、津波で浸水したエリアのほとんどが埋立地か沖積地と呼ばれる土地であった。
沖積地は地質学でいうと、1万年くらい前〜現在に至るまでに
河川が氾濫し土砂が堆積して出てきた新しい土壌のことを言いいます。そこに人は家を建て海を陸地に変えていった。昔の人も何度っも大きな地震を体験しその学びを後世に残すために津波がここまで来たという、石碑を道に建てましたが・・・・
そういう大切な伝言が届くのは悲し事に3世代まで・・・・😭
悲しい出来事を忘れて、また同じ場所に建物を建ててしまった。
亡くなった人に手を合わせるのは(手を合わせ、故人を心で感じ)
心で彼らの存在を感じているから・・・亡くなっても尚見えない世界に皆で移行しただけ
自分自身が彼らの存在を信じているから心や祈りは必ず届いている気がします。
自分の妄想かもしれないけど手を合わせて話しかけると(両親に)彼ららしい言葉で話しかけてくれている気がします。
東北に行くと今でも亡くなった方の家族や仲間の姿を見たり声が聴こえたという方にたくさん会います。亡くなった方への慈しみの気持ちや感謝、愛や怒り、いろんな感情が(存在)としてでくるのは向こう側に、その人達の存在があるからではないかと思います。
沖縄でも現在問題になっている辺野古埋立問題になっているよう、
東北の津波がそうであったようにどんなに海が人類の都合で変えようとしても、
いつかは必ず、自然の姿をして取り戻しにくるのではと考えます。
その時に私たちが背負うものがないよう祈るばかりです。🤲
自然の力は人の都合で勝手に変えられないのである!
わたしたちはこの震災を忘れない。
ご訪問ありがとございます😊
unchantotaro blog 心が元気になるといいな 🤗
あの時は忘れない。
読者登録おねがいします。