今回はインストラクター育成で経験したことや母の世話をしていた時に感じた感情について
記事にしたいと思います。
思いのまま書きますので文章の読みにくい部分や意図が伝わりにくいかもしれませんが
お許しくださいね。
数年前まで母のところに12年間、息子を連れて飛行機で定期的に通い続けました。
父が逝ってしまう年には1年で9回位通っていました。
20代の頃は疎遠になっていたのに・・・。
自分を頼りに連絡してきて『自分たちの事を面倒見てほしい』と。
最初はとても戸惑い混乱しました。
結婚もしたばかりで乳飲み子もいる。家も購入して大変な時期でした。
老父婦が住まう3DK古アパートは雪崩れが起きるほど散らかっていて、父は認知症が入っていた
母も年々糖尿などを患い体が不自由になっていました。
レンタカーを借り、両親の家を片付けること。生活の基盤を作りご飯を食べさせる・・・。
病院に連れていったりというのも出てきました。
いくらやっても、足りないくらい。
母のわがままや文句、周囲のきょうだいも何もしないくせに文句も言い出す始末。
自分の感情を押し殺しても、まだまだ・・・。
知らないうちにどんなにやっても満足できない状態になってそんな思考になっていきました。
周囲の人に文句を言わせまい‼️
親に人並みの生活を送らせないと・・・。
やればやるほど周囲は自分を火炙りにし始めた・・・・。
周囲の親族は父の親戚にまで『あんなの一時だけしか(手伝うもんか???)』
とまで言われ、何をしても貶される一方でした。最後の最後まで・・・。
日に日に自己肯定感は下がり続けていたのはいうまでもない‼️
父も見送り9年、母が寝込む前に『もう世話してくれる人がいるから来なくていい‼️』と
言って来ました。
その時に、自分に起きた感情です;。
しばらくは、放心状態になりました
『自分はこれだけやったのに・・・・一言でもうう来るな??』『今までの大変な日々はなんだったのか???」
『自分を都合よく使いたかったのか』・・・・。なんだったの??文句ばっかり言われながら
この12年ほど自分の感情を押し殺して 何していたんだ??
そうです。
自分は、知らない間に両親のいう通りして支配されて服従関係になっていたんです。
やりすぎた!
必死になりすぎて自分の心を大切に扱わないので、いろんなことを考えすぎて手を回しすぎたんです。
世話というのは完璧にはできません‼️
相手が求めるようにやっていたら疲弊し、知らず知らずに構いすぎて何もやらなくてもいいと両親は思っていたでしょう。
優しさとはある程度、自分のできる事をやったら見守る。
困っている人を助けるには自分の手を伸ばして引き摺られない程度の位置で助けられるようにしないといけない。
構いすぎたらどんどん相手は要求してきます。相手の言うがままに自分が全部叶えてあげていたら自分も共倒れしてしまいます。
介護経験が終わった直後、インストラクター育成に携わりました。
自分の心に向き合わず、またまた必死になって技術を教え込み、手を出しすぎてしまいました。
相手は逃げ出したかったと思います。
いくら可愛い後輩でも、少し出来るようになったら見守り、いつでも手伝えるよって
少し距離をとって考えないといけなかった。
手を出しすぎると(過干渉)=甘やかし
こうなると何も人間は考えなくなります。相手の気持ちなんかお構いなしになります。
でも介護と同じ事をしてしまったのです😔
ある程度の距離、口出しは最初だけ。。。。
人生には失敗したり、やってみないとわからないこともたくさんあります。
失敗しないと成長は産まれません。
やり過ぎの人はなんで私はこんなにやっているのに・・・・。頑張りすぎて感情コントロール出来ず下手したら最悪、手(暴力に)も出しかねません。
でも自分の心を労わらない限り解決はしません。
わたしはそこまで行かずよかったです。
現在、メンターでありコーチに手🤲を借りて自分の心を取り戻しにかかっています。
『何でも完璧な事はできない‼️』『人間は生涯、不器用で未熟な生き物さ』
できる範囲でサポートするのが自分の生き方にぴったり😊
優しい自分でも居たいけど、わたしは今のわたしで十分だと思う。
なぜなら、自分のキャパシティが小さいと認めているから。。。。
今は自分の心を甘やかしています。
人生、ゆっくりでいい。
気づきがあった方が楽しいね🤗
ご訪問ありがとうございます
unchantotaro blog心が元気になるといいな🤗
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これがわたしのズッコケ体験談(介護編)でした・・・。😉
今となってはいい思い出😊本当に良くやった!
これからの人生の糧になるように。